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人間関係で悩む人間がスピリチュアル・自己啓発にドハマりする危険性 私の体験談

こんにちは、Lです。

前回、スピリチュアルにハマって独りよがりな考えに陥る危険性について触れた。

今回はスピリチュルを盲信していると、間違った道へ堕ちている自覚がないこと&なぜ道を間違えてしまうか?を実体験と共に話します

※あくまで、私の体験を元に書いているだけで、スピリチュアル全般に言える考えだとは思っていません。

※あくまで、私がハマった1スピリチュアルの話です。

人間関係トラブルが悩みの原因

アドラー心理学でも、全ての悩みは対人関係に起因すると言っている。私も同感だ。そう、人間関係で生きづらさを感じる人が、スピリチュアルにハマるのだろう。

人生を楽に生きていけるヒントをもらうって意味で似たものに自己啓発本がある。まずここから説明していきます。

 

良いと思う自己啓発の考え 

これは防護服を着るようなもの

人から心無い一言(orそうとも受け取れること)を言われても、相手の言動に不必要に傷つかないよう自分の考え方の幅を広げるもの。自分の考え方が一面的だと、自分と違う考え方の人間の言動を相手の真意を誤解しやすい。また、相手も誤解してるケースもあるから、冷静に話してみればお互い分かり合えることも。相手を誤解せず、相手に誤解されぬように相手と歩み寄ろうとするのだ。

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危険なスピリチュアルの考え

これは他人との間に壁を作るようなもの

スピリチュアルは超科学的な理屈で全てを解決できてしまう。それで、人間関係の刺激を完全シャットアウトできるから他人に傷つかなくて済む。(自己啓発本であっても、このようなニュアンスを含むなら危険)

「嫌なことがあっても、その後でその分良いことがあります。」

生きていれば、嫌なことはある。でも、それは自分にも責任がないのか?

基本的に、対人トラブルは交通事故のようなものと思う。相手がスピード超過をしてるだけでなく、自分もちょっと考え事をしながら運転していた隙があったのでは?。

だから、嫌なことがあったら自分の落ち度に向き合わないと、後でまた同じ問題に直面する

一見嫌な人間に会っても、「そういう人間はレベルが低いのです。」そして、「他人に優しくしましょう」「感謝が大事です」

人を見下しておきながら、優しくしろと言われても、どこか空虚さを感じ、自己満足では?とも思う。思考停止状態で感謝だけを口にして、せっかくの自分を省みるチャンスを潰していないだろうか?

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人付き合いにはバランス感覚が大事

確かに、一緒にいるとこちらが疲れる人間、ウマが合わない人間はいる。「あいつは嫌な奴、身勝手な奴」と思っていた方がこちらは傷つかないし、楽だ。

何より、日々の生活の中で会う人間一人ひとりに向き合っていたら大変で身がもたない。だから、ある程度はテキトーに流して生きていくことになる。つまり、ほどほどのバランス感覚が大事なのだ。

しかし、スピリチュアルにハマる人間は、周りに頼れる人間がいなかったから、スピリチュアルにたどり着くのだろう。そうなると、この塩梅が上手く出来ない。

対人関係でもう傷つきたくない人間にとって、人と向き合わずに済むスピリチュアルはとても心地よい。でも、考え方のコツとは、人との潤滑油であって、人と断絶して生きていくためのものではない。似て非なるもので要注意。

 

独りよがりな生き方はなぜ危険か?

こういう自己完結した考えで生きていると、表面的には社会の中で生きていても、内面的には一人の世界で生きているのだ。でも、他人に傷つかなくなるのは、自分も相手と向き合わなくなるということ。だが、成長には人とのやり取りが必要だ。

基本的に、人間は他人からされたことしかできないと思う。自分は優しく強くなりたいのなら、人から優しさや強さを教えてもらう必要がある。そういう人間こそ、他者と多くぶつかりあう必要がある。

さらに、人のことを考えてあげられなくなる(他者貢献)と、独りよがりな生き方に走る。他者貢献とは自分の存在意義を感じる大きな幸福感だ。これができない欲求不満は別の形で発散しようとするだろう。これは、自分の快楽の追及になると思う。人によって名声欲、金欲、食欲、性欲など様々かな。 

 

間違った考えに陥る原因とその対策は?

普通は幼少期に親などから優しさ・厳しさの愛情を受け取り、社会のルールや自制心の尊さを教えてもらえるものだ。でも、その機会がないと人と上手くやれないし、他人の言動・行動の解釈を間違えて傷ついてしまう。独りよがりの道に迷い込んでしまう原因はここにあると思う。学べなかったなら大変だけど自分で身に付けないといけない。

何かを学びたいなら、まずはこちらから相手に何かしてあげるが良いと私は思う。世の中はギブアンドテイクだ。(スピリチュアルの中の仮想の神・教祖じゃなくて、普段関わりのある人間にね。伝統的な宗教の神にしても、まず目の前の関わりのある人間と上手くやれてから)

特に子供を持つ社会人の方から、色々と教えていただけると個人的に思う。あと、親と上手くいっていないけど和解できそうなら、早いうちに和解した方が絶対に良い。

傷つくリスクは確かにあるけど、それこそ「防護服」を着て人と関わろう。相手に何かを与えて、でも返ってくる期待はせずにいよう。でも、人間とは何かしてもらったら相手に何か返してあげたいと思う生き物だ。巡り巡って自分にも何か為になることが返ってくるはずだ! 

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私の独りよがりな生き方から立ち直るまでの実体験

ここからは、私の立ち直るまでの半生を踏まえて説明しよう。

(※私はアスペルガー症候群で人と上手くやれずに、色々とこじらせたという前提で読んでください。普通はここまでこじらせることはないと思う。)

私は小さい頃から周りとうまくやれない→まわりに失望→こんな連中と仲良くするよりも、俺の人生には別の役割があるはずだ→規模のデカいことをしたい!→思うようにいかない&周りは成功している→面白くない→周囲への怒り→完全な独りよがりな人間へ、と変貌していった。

スピリチュアル的な都合のいい解釈をたくさん集めて、周りにどんな人間がいてももう動じないだろう(人生について学ぶことはない)とまで思っていた。つまり、これは自己完結できる人付き合いの考え方を築き上げていた。

  

恐ろしいことは、自分では個人プレイに走っている自覚がない

私はスピリチュアルにハマっている時でさえ、アドラー心理学に共感していた。アドラー心理学は他者貢献が大事だと強調している。しかし、それを読んで私は、他者貢献と言いながらも、自分にとって都合の良い解釈に気が付いていなかった。

表面的には、「研究者になり、人に役立つ発明をしたい」と言っていても、結局はそんなことをして名声を浴びて気持ちよくなりたいだった。言葉や思いは、えてして自分の思ったように相手に伝わっていないことの良い例だね。

 

だんだんと自分の情けなさに気づけなくなる

完全な独りよがりの考えに陥る前にも、初めのうちは自分がやっていることはおかしいとどこかで思ってた。私の場合は、良い大学に行って研究者になって人の役に立つ成果を残すプランだった。しかし、勉強ができる方ではなかった。(勉強が得意じゃないなら、自分にできることをやれば良かったのにね。)知人につきっきりで質問して他人の時間を奪っていた。確かに、持ちつ持たれつは悪くないが、私は助けられてばかりだった。体良く人間関係を築き、いいとこ取りをした。でも、私はそれを見て見ぬ振りをしていた。いつか大物になるからと。だから、「これくらい迷惑をかけても良いんだ」と正当化を強めていった

「結局、人は自分が一番可愛い」とかよく言うね。確かにそうだ、と皆言うだろう。でも、どのレベルまで他人のことを気にかけてあげられるかは人によって違う。そこを深く考えず、「みんなも自分が一番って言っているし」と甘えてもいたかな。だから、人は今の自分を肯定できる理屈を都合よく集める生き物だと痛感している。

そうやって、私は情けない人間になり下がっていったが、徐々に堕ちていくから、堕ちきってみないと自分でも分からないものだ…。出発はみんなに認めてもらいたいだったはずが、こんな有様じゃあ、人望なんて集まらないね。最終的には出発点と真逆のことをしていたわけだ…人間の自然な承認欲求は正しく満たし、欲求不満とは適切に解消できないと恐ろしいものだ。

 

落ちる所まで堕ちて考えを改めた

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このように背伸びして入った大学で、ノルマの厳しい研究室でプライドをへし折られて、うつ病になった(自業自得)。思い描いた社会人にはなれずに、長いこと闘病生活が続いた。もはや、障害者手帳にすがるしかないのでは?と思ってた。

(ある意味)こんなに頑張っているのに良いことはなくて、スピリチュアルの考えなんて全くアテにならないと思った。さらに、独り善がりなプライドは全く保てない状況で、考え方を変えざるを得なかった。

自分の子孫も残せないと思った。そうなると、人は「自分の得てきた処世術を伝えて、せめて自分の生きた意味を残したい」と思うのかもしれない。私がこのブログを書き始めた発端はそれだ。

加えて、私に救いの手を差し伸べてくれる人間がいて今がある。だからせめて、「気にかけてくれた人間のその時間を無意味にしたくない」という気持ちで書いている。こういう思いが”独り善がりでない”本来の他者貢献であり、まともな思考への方向転換に繋がったのだろう。

こんな人間が、よく人生について分かった気になっていたなあと思う。

振り返ってみると、間違っているなりにも‘ある意味’自分にストイックに生きてきたから、壁にぶち当たり取り返しがつく段階で、軌道修正できたと思う。(ただし、読者にここまで背水の陣を敷くことを勧めてはいない

 

他人とのコミュニケーションで気をつけたこと

それからは真逆に生きていこうと思い、なるべく他人と向き合うことにした。私を含めて発達障害の人は、人間関係で相手に誤解され、仲たがいが起きやすいと思う。真面目にやっているのに、うっかりミスなどで真面目にやってないと思われる。加えて、良かれと思って言ったことが、相手には真意が伝わらずイラつかせる。ここで、真摯に「そんなつもりはなかったんです」と理解してもらえるよう努めた。

私は、挫折に挫折を重ねて良いプライド・悪いプライドも全部へし折られた。だから、周りからは無様かもしれないけど、これが自分のためにもなると思ってやった。「少し変わった奴」と思われても、「やる気はあるし悪い奴じゃない」と認められるよう努めた。

なぜなら、誤解が解ければお互いに打ち解けられる。でも、誤解を与えたままだと自分も傷つくし、相手ともさらに上手くやれなくなる。つまり、その後の人間関係の大きな分岐点なのだ。確かに、自分のことをなかなか分かってくれない相手にムカつくけど、マイノリティな人間はそんなことをいつまで言っていられない。だから、考えを改めることにした。向こうも、わざと意地悪をしようとはしていないしね。こうやって、周囲の他人と上手くやれると、「自分は仕事が特別できなくても、自分なりにできることをやろう」と、社会の歯車の1つであることに満足できるようになった。

そんな感じで今日も頑張る人生道すがら。でも、30にして立つどころか、30にして未だ迷うだ笑。

 

一時的なら他人と壁を作っても良い?

スピリチュアルの危険性・対人関係の考え方のコツの記事でも書いた。「防護服」を着て性善説を踏まえて人と向き合いましょう。でも、一時的に自分の殻に逃げ込んでも良い。なぜなら、自分の心を守ること、まずは生きることが大事だから。(私だって、スピリチュアルの考えに救われてとりあえず死なずに済み、そうやって生きている中で優しく尊敬できる人間に出会い、考えを改めることができたのだから。)

嫌なことされたら「なんだよアイツ」とか嫌な奴と思って良い。良い奴と思えないなら無理して良い奴と思わなくて良い。それでも、時間をおいて怒りがさめた後、別の知り合いから冷静なアドバイスがもらえれば、ちゃんと納得した上で考えを修正できるだろう。周りと冷静に考えても、嫌で関わりがたいヤツならそれでいい。

ただし、世の中全体(もしくは、周りの人間全員)を悪と思う厭世的な考えは危険だ

良かれと思って手を差し伸べてくれる人間でさえ、敵に見えてしまうから。そうなると、間違った方向へ進んでいても軌道修正が難しい。

確かに、世の中全部がダメだと思う時もあるけどね。それは、自分が物事を一面的にしか見ていないのか、あるいは本当に周りにヒドい人間が集まっているのか、はケースバイケースだ。ただ、自分の殻にこもっていていても結局自分が損をすること、そんな現状に「このままじゃマズいな」って感じるなら、その感覚は心に留めておいた方が良い。 

スピリチュアルであれば、嫌なことがあったから次はきっと良いことあるはずくらいなら、思っていいだろう。

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